KOJIMARU⑧WALKER

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北前船 その1

今回は北前船のお話です。

下津井を語るには欠かせないキーワードです。

北前船は江戸時代から明治時代にかけて日本海経路での海運を担ってきた船の総称です。北は蝦夷(北海道)から日本海沿岸を南下、下関(山口県)から瀬戸内海の本州側沿岸を東に辿り大阪までを往来していました。「北前」とは日本海側を意味し「西廻り航路」ということになります。

この航路は江戸時代初期に加賀藩が開拓したとされていて、それまで主流だった琵琶湖を使った京都や大阪への内陸水運ルートでは積み替えや陸運で時間もかかり割高だったものが、一度積荷したものが直接大阪まで運べることで効率が上がったようです。

江戸中期になると、それまで近江商人が雇っていた船乗りたちが力をつけ、自力で交易を始め「買積み廻船」が主流となります。つまり預かり運送でなく、立ち寄る各港で積荷を売買し利益を出す仕組みになっていきます。

本州側からの主な積荷は「米、塩、酒、酢、綿、薬、衣類」、蝦夷側からは「昆布、ニシン、鮭などの海産物」で、各地の食文化に大きな影響を与えつつ、魚肥は各地の綿花栽培に必要で、麻に変わる木綿を中心とした繊維産業の下支えになり、瀬戸内の気候を生かした塩業も主要な物流品のひとつになっていました。

明治時代になると造船や操船技術が向上し効率が上がりつつも、鉄道などの陸路手段が近代化する中で衰退していくことになります。

数ある航路上の寄港地の中で、下津井は塩飽による造船や修船や瀬戸内独特の操船、そして四国への渡航港としての意味は大きかったように思われます。

後に地域の物流拠点はお隣「玉野市 宇野港」へと移りましたが、現在は瀬戸大橋がその多くを担っています。

北前船については各地の主な寄港地に、北前船の精巧な模型などが展示された博物館などが多々存在しています。そちらの方も見て回るのも面白そうです。

取り急ぎ画像や地図もなく、ひとまずさらっと掘り下げておきます。


下津井には北前船をはじめとする、地域にまつわる歴史資料や地元特産物を取り扱っている「むかし下津井回船問屋」があります。蔵を改装したカフェやお食事処、おみあげの売店もあるのでお勧めです。(入場無料、駐車場あり)

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