KOJIMARU⑧WALKER

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塩飽諸島 その1

塩飽諸島 瀬戸内国際芸術祭 下津井 歴史探訪(下津井)

今回は下津井沖にある塩飽諸島(しわくしょとう)のお話です。

 

今年は第3回瀬戸内国際芸術祭が開催中です。春夏秋と開催期間とエリアが異なるのですが、秋はこの塩飽諸島エリアになります。開催期間は10月8日(土)~11月6日(日)、その関連で記事を先行しておこうと思います。

瀬戸内国際芸術祭についてはこちらをどうぞ


では改めて塩飽諸島のお話です。

塩飽の名については、盛んであった塩業から「塩焼く」または瀬戸内の東西の海流がぶつかることから「塩湧く」といった由来があるそうです。全体では大小の塩飽28島となりますがそのうち主要な島が塩飽7島とよばれる「本島」「広島」「牛島」「手島」「櫃石島」「与島」「高見島」になり、その中の「本島」が塩飽の中心でした。

塩飽諸島エリアと定期便航路>
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塩飽一帯は戦国時代当時から「塩飽水軍」が自治を許されてきました。信長の時代は毛利側村上水軍の対抗力として、秀吉の時代には朝鮮出兵で功をなし、江戸時代の平時には海運業、有事には水軍として馳せ参じる水軍力と技術力が幕府にも認められ、幕府御用船や北前船の船方をする「塩飽船頭」として活躍の場を得ていました。

江戸時代中期になると船の技術を生かしつつ、家や宮の大工としても活躍し「塩飽大工」として幅を広げていきました。現在も本島の町並みには当時塩飽大工が腕をふるった建物が多く残っています。

幕末には勝海舟を艦長とした「咸臨丸」の乗員105名のうち塩飽より35名が乗り込み太平洋横断に尽力しています。その歴史的背景にちなみ瀬戸大橋開業当時は与島より同名の観光船が20年ほど就航していましたが、残念ながら現在は運行停止になっています。

簡単にはなりますが大まかな歴史はこのような感じになります。それぞれ時代の流れの中で塩飽が活躍していたというのは確かで、少しでも魅力をお伝えできればと思いつつ記事にしておきます。

現在の塩飽諸島香川県に属します。本島へ渡るには本州岡山側からは児島観光港、四国香川からは丸亀港などから定期便が出ています。JRで本州から丸亀や多度津へは瀬戸大橋線で四国に渡り、予讃線へ乗換えていきます。児島観光港はJR児島駅東口を出てすぐそこです。「瀬戸内国際芸術祭・秋」が開催の期間にアートと一緒に歴史を堪能するのも面白そうです。

また本島にはイルカ村があります。エサやりから泳ぎまで体験できるようです。
詳しくはこちらをどうぞ

塩飽諸島方面・鷲羽山山頂より>
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